財務省の人達

経済
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安い国ニッポンの悲劇過ぎる未来(藤井聡氏)を読みました。特に心に響いたのは財務省の人々の事でした。私は前から疑問でした?なぜ失われた30年が起きたか?財務省のシステムが悪いのは知っていました。例えば三橋貴明氏、森永卓郎氏等が書いてます。そして必ず個人的に付き合えば家庭思いのいい人、でした。そこで出てくるのはアドルフ・アイヒマン(ドイツのホロコースト)です、この人の事をハンナ・アーレントが書いてます。(凡庸な悪)と表現してます。このことが今の財務省にも当てはまる、と思っていました。しかしなぜ?という疑問は残ったままでした。この疑問を藤井聡氏は見事に書いています。

例を挙げますと(p76):まず財務省は「組織」としては、学者まで使って真実を歪め、メディアの論調まで支配して世論を歪め、それらを通して日本の政治を歪め、日本経済に深刻なダメージを与えてるわけですから、「悪の組織」と言うわざろう得ません。しかし、そこで働く財務省職員は決して、反社会的勢力の極悪人とは言えない人々ばかりなのです。彼らは概して優秀で、まじめで、日本を潰そうとゆうよりはむしろ「日本にとっていいことをしたい」と言う気分をわずかなりとも持っていることは間違いありません。1人1人付き合えば普通の人間、むしろ、普通に優秀な人間たちです。それでも彼らが財務書と言う組織の中の「組織人」であることは相違ありません。組織人とは一言でいえば「組織の歯車として優秀な人物」です。そして彼らはそうゆう「組織人としてふるまう」ことにかけて、とりわけ秀でた能力を持った人々なのです。その理由は以下に説明しましょう。

そもそも彼らは東京大学をはじめとした難関大学に入った人達です。そうした難関大学に入ろうとすれば、大人たちが用意した問題に何の疑問も挟まずに取り組み、同じく何の疑問も挟まずに、大人たちが用意したその問題の答えにたどり着こうと必死で努力し、より効率的、効果的にその答えにたどり着くための競争に幼児期、青春期の貴重な時間を十年以上も費やして取り組み、そして勝ち残った方々です。ただし彼らが優秀なのはあくまで大人社会が用意した問題に取り組み大人社会が要した答えにたどり着くという”ゲーム上”です。このゲームにおいて重要なのは真実や心理を見出す能力ではありません。あくまでも大人が要いした答えを見出す能力なのです。従って彼らは理性を働かせて実態を読み解く能力が秀でてるとは限らないのです。彼らが秀でてるのは大人が要した答えは何かを忖度する能力だけなのです。そんな大人社会への忖度能力なんてものは、社会を救うだの社会をよくするだの幸せになるだの人を幸せにするだのといった正解のない問題を乗り越える能力とは全く別のものです。むろん、両社が重なる部分と言うのはあるでしょうが、重なるとは限らないのです。と言うより、難関大学になればなるほどその両者の重なりは少なくなっていき、現実問題の対処能力とは無関係の能力が鍛え上げられるようになっていくのです。

ここの部分でした、なるほどそうだったのかーと思いましたね!このような人達に任せた結果、日本経済は壊滅的状況。そしてそれをまだ続ける、続けようとしてます。

あなたはどう思いますか?

今回お読みくださった方ありがとうございます、それではまた~

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